若くして惜しまれつつ亡くなったZARD・坂井泉水。死因や背景は?

「負けないで」などの数々のヒット曲を世に送り出した音楽ユニット「ZARD」のボーカル、坂井泉水さん。2007年、突然この世を去ることとなり、多くの人が悲しみました。

今回は坂井泉水さんの死因とその背景について紹介します。

坂井泉水の死因は脳挫傷

坂井泉水 死因は後頭部強打による脳挫傷。2007年の5月27日、40歳の若さでこの世を去りました。どうして頭を強く打つようなことになったのかというと、高さ約3メートルの地点から転落したためにそのような事態を招いてしまったのです。2019年にこの世を去った「ヒトリエ」のwowaka 死因は心不全だったものの、wowakaさんも31歳の若さで亡くなっています。「sumika」のメンバー、黒田隼之介さんも2023年に34歳の若さでこの世を去っており、悲しい話ですが若くして命を落とすミュージシャンというのは少なくないのですね。

ありふれた言葉だからこそ強く尊い―― 没後12年、人々の魂を揺さぶり続けるZARD・坂井泉水の世界 – Yahoo!ニュース

坂井泉水の背景

モデルとして芸能界入りを果たし、その後ボーカルとしての才能を認められZARD結成に至った坂井泉水さん。1991年にZARDのファーストシングルが発売されると、その後もヒットを連発。9作でミリオンヒットを飛ばし、90年代アーティスト・トータル・セールスでは女性ボーカル・アーティストの部門で1位に輝いていました。坂井泉水さんについては、1999年の長者番付で歌手部門の5位に輝いていたという情報もありましたよ。

売れっ子から一転、闘病生活へ

しかし2000年以降、坂井泉水さんは様々な病気を患うことに。子宮筋腫、卵巣のう腫、子宮内膜症などに苦しめられ、通院の日々が続きました。2000年リリースの「Get U’re Dream」はNHKのシドニーオリンピック放送のテーマ曲となり、同年の紅白歌合戦にも出場予定だった坂井泉水さん。しかしそちらも体調不良が理由で最終的に出場を辞退することに。それでも、2002年から2006年までの間も坂井泉水さんはレコーディングを行い、ZARDのシングルは発売され続けましたよ。

癌に苦しめられることに

2006年4月、仕事中に体調が悪化した坂井泉水さん。病院で検査を受けたところ、子宮頸癌が発見。6月に慶應義塾大学病院で病巣の摘出手術を受け7月に退院したものの、翌年4月には肺への転移が見つかり再入院することとなりました。入院中は抗がん剤による治療を受けながら、治療後のアルバム制作やコンサートツアーに向けて作詞を行うなど、再始動に向けた活動は行っていましたよ。

2007年5月27日、この世を去る

闘病生活の最中、2007年の5月26日午前5時40分ごろに慶應義塾大学病院内のスロープ状になっている高さ約3mの地点から転落、駐車場で仰向けに倒れているところを通行人に発見されました。集中治療室で緊急処置を受けたものの、転落の翌日、27日の午後3時10分に亡くなりました。度重なる病に苦しみましたが、坂井泉水さんの死因は後頭部強打による脳挫傷でした。

転落は事故と見られている

辛い抗がん剤治療の最中、転落によって命を落とした坂井泉水さん。そのため自死も噂されましたが、坂井泉水さんは闘病中も復帰後の活動に向けて準備をされており、病気と闘う意志を常に見せていました。また坂井泉水さんが転落した場所の高さも約3mと低く、その点からも自死は考えづらいと言われています。転落事故現場は坂井泉水さんが落ちた場所だけ約30センチ四方の金属製の排水溝の蓋があった場所ということで、誤って落ちてしまい、打ちどころも悪かったという「不慮の事故」だと見られているのですね。

最後に

今回は坂井泉水さんの死因や背景について紹介しました。

坂井泉水さんが亡くなって15年以上経った今も、坂井泉水さんが作り、歌った様々な曲は今もなお愛され続けています。ただ、出来ればもっと長く生きて長く坂井泉水さんに歌い続けてほしかったとも思ってしまいますね。

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