新庄剛志が残した現役時代の記憶と記録

日本プロ野球界を大いに騒がせている、日本ハムの新庄剛志ビッグボス。従来の監督像を覆すため、毎日のようにバラエティ番組に出演し、日本ハムファイターズの広告塔となっています。

今はすっかり日本ハム所属のイメージが定着しているかもしれませんが、彼のプロの野球選手としてのキャリアのスタートは阪神タイガースからでした。型にはまらない新庄剛志ビッグボスは、現役時代から様々な伝説を残していますが、なんとなく「破天荒な人だな〜」と思うだけで、どんなことをしていたのか知らない人もいるのでは?

そこで本記事では、新庄剛志ビッグボスが現役時代に残した記憶と記録について紹介していきます。

現役時代に残した逸話の数々・・・

現役時代は、阪神タイガースやメジャーリーグ、日本球界復帰後は日本ハムファイターズで活躍した新庄剛志。ここでは、現役時代に残してきた逸話を3つご紹介します。

入団会見から破天荒

西日本短大付属高校からドラフト5位で阪神タイガースに指名され、入団会見に出席した新庄。当時高校3年生だった新庄ですが、風貌はなんとパンチパーマ!さらに面白発言を連発します。阪神ファンだったかとの質問に対しては、

「サッカーが好きだったので、あまりプロ野球には興味がなかった。」

さらに友達の中では人気者だったか聞かれた新庄は、

「自分で言うのもなんだけど、結構人気者です。」

と、あどけない表情ではにかんだ笑顔を見せながら答え、記者からの笑いをかっさらいました。まだ入団してもいないのに、野球にあまり興味がないと言えるなんて、ビッグボスらしいですね!

敬遠球をサヨナラヒット!!!

1992年6月12日の巨人戦、12回裏1アウト3塁で迎えた新庄の打席。ここで巨人のピッチャー槇原に敬遠されますが、なんと敬遠球を強引に打ち、サヨナラヒット!これは余りにも有名な話ですが、実は新庄が準備を重ねていたから打てたヒットであったことをご存知でしたか?実は、この巨人戦の前に、新庄は敬遠球を打つ練習をしていたのです。そのため敬遠されると分かった時、すかさずベンチに向けて

「打たせてくれ!」

とサインを送り、打ったヒットだったのです。その際、ゴーサインを出した故・野村監督もさすがです!!

5年間で12億円の超大型契約を蹴ってメジャーリーグへ

2001年にニューヨークメッツに移籍した新庄ですが、人気選手を引き留めたい阪神は、この時に5年で12億円の超大型契約を提示しました。しかし、新庄は夢を追い求めてメッツへの移籍を選びます。メッツでの年俸は2100万円と、阪神と比べると格安。お金にとらわれずに、やりたいことを貫き通すところがすごいですね!

選手として残した注目すべき記録

現役時代の新庄は、高打率こそ残していないものの、チャンスに強くフルスイングで多くの本塁打を放ちました。守備では、身体能力を生かし固い守備を誇った新庄。現役時代に残した記録についても解説します。

10度のゴールデングラブ賞

新庄は歴代4位の10回、ゴールデングラブ賞を受賞しています。NPBに在籍した年数が通算12年なので、ほぼ全ての年でゴールデングラブを受賞していることになります。新庄といえば、一時は野村監督が投手にも挑戦させたほどの肩の強さ。外野から捕手へ一直線のレーザービームでファンを魅了しました。

天性のお祭り男!2度のオールスターMVP

新庄は阪神時代に1度、日本ハム時代に1度の合計2度、オールスターMVPを受賞しています。阪神時代はホームラン、日本ハム時代はホームスチールで受賞と大舞台で活躍するのはさすがです!

現役最終年、札幌に初の日本一をもたらす!

2006年シーズン開幕早々に引退表明した新庄。なんとしても日本ハムを北海道に定着させたかったのでしょう、引退表明からメディアの報道が過熱するとともに、新庄自身の球場でのパフォーマンスも急増、「新庄劇場」と呼ばれるようになります。勢いに乗った日本ハムはパリーグのペナントレースで優勝、プレーオフも制します。初の日本シリーズに進むと、新庄は17打数6安打1打点と活躍し、日本ハムが北海道に移転して初めての日本一に導きました!

最後に

以上のように、記憶・記録に残る活躍をしてきた新庄ビッグボス。ファイターズ 選手たちからも慕われている様子は、報道でもたくさん目にします。監督としてのキャリアはスタートしたばかり。今後、野球ファンの記憶に残る采配をしてくれることに期待しましょう!

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