パリコレや欧米ファッション界で、世界を舞台に活躍し続けた、日本人モデルの先駆者ともいえる存在・山口小夜子さんをご存知でしょうか?大手化粧品会社と専属契約し活動しており、1977年には、欧米で「世界のトップモデル6人」に選出されるほどのブームを巻き起こしました。2007年に57歳という若さで生涯を終えた伝説のモデルであり、その名は今でも語り継がれるほど。
そんな山口小夜子さんは、最期は多くの謎を残したまま、その生涯を終える形になりました。TBS系バラエティ番組『爆報! THE フライデー』では「死の真相」について特集も組まれていましたが、実際、彼女の死因は何だったのでしょうか。晩年は孤独死だったとも言われていますが、過去の恋人関係や、死との関連についても調べてみました。
山口小夜子の基本プロフィール
昭和美女といえば私は山口小夜子なんだよなぁ…… pic.twitter.com/jgbbrVrovb
— あきぼう (@akibou893) January 3, 2023
- 生年月日:1949年9月19日
- 没年月日:2007年8月14日(享年57歳)
- 没年齢:57歳
- 出身地:神奈川県
- 職業:ファッションモデル、ファッションデザイナー
生涯独身を貫く
パリコレ史に残る山口小夜子さんは、ジャンポール・ゴルチエやイヴ・サンローラン、山本寛斎、高田賢三など、名だたる一流デザイナーたちに愛され、国内でも大手化粧品会社と長期間にわたって専属契約を結んでいたそう。山口さんは生涯の幕を閉じるまで、結婚歴はなく、子どももいませんでした。生涯独身を貫いたのは、ファッションデザイナー・山本寛斎さんの存在があったからではないかといわれています。
山本寛斎との関係は…
かつて「自分は山本寛斎さんに拾われた。寛斎さんのオーディションを受けていなかったらモデルはやめていた」と語っていた山口小夜子さん。実は、オーディションを受けてもことごとく不合格となっていた山口さんを、モデルとして認めたのが山本寛斎さんだったそうです。山本さんは、山口さんにとってとても大切な相手だったことがわかります。
また、山本寛斎さんも山口さんの死後「日本の女性は美しいと世界に印象づけた最初の人」と語っていました。
愛人関係であると業界では有名だったという話もありますが、すでに山本さんも山口さんも亡くなられているので、真相は2人だけが知るのみぞとなりました。
「東洋の神秘」山口小夜子 死因は?
おかっぱ頭に切れ長の目は、今ではメジャーになった「アジアンビューティー」というルックスにふさわしい神秘的な美しさ。憧れますね。「東洋の神秘」と称され、世界中から注目を浴び、多くの伝説を残した山口小夜子さんの死因について調査してみました。
山口小夜子は肺炎で孤独死だったのか
2007年、山口小夜子さんは一人で暮らす自宅にて、突然肺炎を起こして亡くなっています。葬儀は家族だけで執り行われ、お別れの会が開かれました。亡くなっているのが発見されたのは、死後3日が経過したあとだったそうですよ。
1週間前には元気だった
生前最後と思われる、出演作品・映画「馬頭琴夜想曲」の撮影で顔を見たという木村威夫監督は「1週間前に会ったばかりだった。体調が悪い様子はなかった」と語っています。突然肺炎を起こし、そのまま搬送されることなく亡くなってしまったものとみられます。
生前は、謎に包まれた人生で、プライベートは一切明かさず、年齢も非公表でした。闘病中だったとしても周りには知らせていなかった可能性もありますね。生前は年齢も明かしていませんでした。
一部では自殺説も
山口小夜子さんの死因は急性肺炎ですが、一部では自殺説も有力視されています。山口さんの告別式が、本人の希望で密葬として行われたことで「どうして前もって自分の死を知っていたのか?」という疑問が生まれたようです。
まとめ
伝説の日本人モデル・山口小夜子さんのプロフィールや謎に包まれた死因についても調査してみました。生涯独身を貫いた理由でもあったであろう、山本寛斎さんとの不倫関係も噂されていたことから、自殺説もあるようですが、公式発表で山口小夜子さんの死因は急性肺炎とされています。
あの冨永愛さんも憧れていたというスーパーモデルの山口小夜子さんは、現在も日本人や外国人モデルたちにとって、神々しい存在として輝き続けることでしょう。