伝説のモデル山口小夜子の死因は自殺でなく肺炎?山本寛斎とは恋人だった?

パリコレや欧米ファッション界で活躍し続けた、日本人女性モデルの先駆者ともいえる存在・山口小夜子さんをご存知でしょうか?2007年に57歳という若さで生涯を終えた伝説のモデルであり、その名は今でも語り継がれるほど。1977年には、欧米で「世界のトップモデル6人」に選出されるほどのブームを巻き起こしているのです。

そんな山口小夜子さん、最期は多くの謎に包まれたままその生涯を終える形になりました。山口小夜子 死因は何だったのか、過去の恋人関係や死との関連についても調べてみましょう。

山口小夜子ってどんな人?基本プロフィール

  • 生年月日:1949年9月19日
  • 没年月日:2007年8月14日
  • 没年齢:57歳
  • 出身地:神奈川県
  • 職業:ファッションモデル、ファッションデザイナー

生涯独身を貫く

山口小夜子さんは、その生涯の幕を閉じるまで結婚歴はなく、子どももいませんでした。独身を貫いたのは、伝説のファッションデザイナー・山本寛斎さんの存在があったからではないかといわれていますよ。

山本寛斎との関係は…

かつて「自分は山本寛斎さんに拾われた。寛斎さんのオーディションを受けていなかったらモデルはやめていた」と語っていた山口小夜子さん。実はオーディションを受けてもことごとく不合格となっていた山口小夜子さんを、モデルとして認めたのが山本寛斎さんだったそうです。そのままの山口さんを認め、受け入れ、モデルとして巣立たせてくれた山本さんの存在は、山口さんにとって大切な相手だったといいます。

また、山本寛斎さんも山口さんの死後「日本の女性は美しいと世界に印象づけた最初の人」と語っていました。

愛人関係であると業界では有名だったという話もありますが、すでに山本さんも山口さんも亡くなられているので、真相は2人だけが知るところとなりました。

「東洋の神秘」山口小夜子 死因は?

おかっぱ頭に切れ長の目は、今ではメジャーになった「アジアンビューティー」というルックスにふさわしい神秘的な美しさ。世界中から注目を浴び、多くの伝説を残したモデル・山口小夜子 死因について調査してみましょう。

肺炎で孤独死

2007年、山口小夜子さんは一人で暮らす自宅にて、急性肺炎を起こし亡くなっています。葬儀は家族だけで執り行われ、お別れの会が開かれました。亡くなっているのが発見されたのは死後3日が経過したあとだったそうですよ。

1週間前には元気だった

山口小夜子さんが生前、最期に出演した作品の撮影で顔を見たという木村威夫監督は「1週間前に会ったばかりだった。体調が悪い様子はなかった」と語っています。突然肺炎を起こし、そのまま搬送されることなく亡くなってしまったものとみられます。

プライベートを一切明かさないモデルとして知られていましたから、闘病中だったとしても周りには知らせていなかった可能性もありますね。

一部では自殺説も

山口小夜子 死因は急性肺炎ですが、一部では自殺説も有力視されています。山口さんの告別式が、本人の希望で密葬として行われたことで「どうして前もって自分の死を知っていたのか?」という疑問が生まれたようです。

まとめ

伝説のモデル・山口小夜子さんのプロフィールや山口小夜子 死因について調査してみました。生涯のビジネスパートナーであった山本寛斎さんとの関係も噂されていたことから、自殺説もあるようですが、公式発表で山口小夜子 死因は急性肺炎とされています。

あのパリコレモデル・冨永愛さんも憧れていたというスーパーモデルの山口小夜子さんは、現在も国外で活躍するモデルたちにとって、神々しい存在として輝き続けることでしょう。

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