吉本新喜劇メンバーで死亡したのは桑原和男!死因や経歴は?

吉本新喜劇のメンバーで死亡した桑原和男さんについて調べてみました。桑原和男さんは吉本新喜劇「和子ばあちゃん」として知られ、大阪で知らない人はいないというほど知名度の高い、そして人気を誇ったお笑い芸人です。2023年8月に、老衰のため87歳で息を引き取りました。この記事では、桑原和男さんというお笑い芸人が遺した功績や笑いの数々を、経歴とともに振り返ってみたいと思います。

吉本新喜劇メンバーで死亡した桑原和男の死因は?

吉本新喜劇メンバーで死亡した桑原和男さんは、老衰で亡くなっています。

【参考サイト:吉本興業公式サイト

60歳を過ぎた頃から体調を崩すことが増え、たびたび休養しながら活動を続けてきたという桑原和男さん。最後は安らかに眠ったということで、ファンからは安堵の声、そして「お疲れさまでした」という感謝の気持ちが飛び交いました。

吉本新喜劇メンバーで死亡した桑原和男の経歴は?

吉本新喜劇メンバーで死亡した桑原和男さんの、経歴やプロフィールを見てみましょう。

  • 本名:九原 一三(くはら かずみ)
  • 出身地:福岡県
  • 生年月日:1936年2月23日
  • 没年齢:87歳
  • 代表作:よしもと新喜劇、水戸黄門など

実は教師志望だった

福岡県で生まれた桑原和男さんはもともと教師を目指しており、福岡の教育大学を受験しました。その後、お笑い芸人を目指して夢路いとし・喜味こいしさんに弟子入りします。翌年には漫才師になり「原こちら」の芸名で活動していました。公式サイトによると、最終学歴は「常磐高等学校卒業」となっているので、大学には合格せずお笑い芸人の道を目指し始めたとみられます。

吉本新喜劇の座長に昇格

桑原和男さんは1961年、33歳のときに吉本新喜劇の座長に昇格。9年間座長として吉本新喜劇を盛り上げ、1972年には後任へ道を譲るために脇役に転身します。脇役を務めるようになってからも、盛り上がり続けた吉本新喜劇の黄金時代を支えてきました。同志が吉本新喜劇を去っていく中桑原和男さんは最後まで残り続け、若手の育成にも力を入れてきたそうです。

名物「和子ばあちゃん」が大ヒット

桑原和男さんの定番といえば「和子ばあちゃん」といっても過言ではないほど、吉本新喜劇ファンの心に残り続ける役柄を務め、関西ではおなじみの存在に。

小柄で優しい顔立ちな桑原和男さんは「和子ばあちゃん」を長年演じ続け、劇場を盛り上げ続けました。男性芸人の中でおばあさん役をやらせたら右に出る者はいない、といわれるほどに、桑原和男さんの和子ばあちゃん役は定評だったそうですよ。

2000年から体調を崩し始める

桑原和男さんは2000年、64歳のときに急性心筋梗塞を患っています。すぐに復帰し、80歳を超えるまで精力的に舞台で活躍していました。しかし82歳ごろになると再び休養に入るように。吉本新喜劇の元座長である小籔千豊さんが主催した音楽イベント「コヤブソニック」でたびたび舞台に復帰し、体調に配慮しながら活動を続けてきました。

まとめ

吉本新喜劇メンバーで死亡した桑原和男さんについて調査しました。吉本新喜劇の黄金時代を、身を削って支えてきた桑原和男さん。関西ではお茶の間の人気者として、亡くなってからもずっと人々の心に残り続けるキャラクターを遺しました。最初に体調不良を起こしてから実に20年以上もの間、身体に気を遣いながら活躍してきた桑原和男さんの舞台は、今もこれからも語り継がれる偉大なものとなるでしょう。

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