この記事では、米米CLUBのメンバーで死亡した人物についてご紹介しています。米米CLUBといえば日本の人気バンドの1つで、1997年に一度解散していますが、2006年に再結成しています。これまで多くのメンバーが入れ替わってきていますが、中には死亡した人物も。現在は、全盛期の活動量ではないもののバンド活動をしています。米米CLUBのメンバーで死亡した人物は誰なのか、死因や経歴などをまとめてみたいと思います。
米米CLUBのメンバー死亡は誰?
オリコンニュースによると、米米CLUBのメンバーで死亡したのはジュリアーノ勝又(本名:勝又隆一)さんです。
【訃報】元米米CLUB・ジュリアーノ勝又さん死去 ALSで闘病1年 石井竜也「もう一度一緒に仕事を…」https://t.co/aDrsLw8wo3 pic.twitter.com/QTCITrz2V9
— ライブドアニュース (@livedoornews) November 28, 2024
ジュリアーノ勝又さんが米米CLUBに在籍していたのは、1995年から1997年まで。米米CLUBが涙の解散を決めるまで、メンバーを支えてきました。米米CLUBのメンバーでボーカルの石井竜也さんは、次のようにコメントを出しています。
勝又隆一さんの訃報が入りました。
ジュリアーノ勝又として米米CLUBの頃から一緒にやってきて、
97年に米米を解散してからも、初期の頃を支えてくれたアレンジャーで、
もう一度、勝又さん一緒に仕事をしたい!と、ずっと願っていました。— 石井竜也&米米CLUBスタッフ (@tatuyaishii_st) November 28, 2024
米米CLUBが再結成してからは楽曲に携わってこなかったようですが、大事な初期を支えた主要メンバーとして、絆が続いていたのでしょう。
米米CLUBメンバーの死因は?
米米CLUBメンバーで死亡したジュリアーノ勝又さんは、国の指定難病「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」を患っていることを明かしていました。介護施設に入っていましたが、スポーツ観戦をしたりお酒をたしなんだりしていたそうです。難病指定センターによると筋萎縮性側索硬化症は、手足や喉、舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉が痩せ、力がなくなっていく病気だそうです。人工呼吸器を使わない場合、発症から2~5年で死に至るといわれています。
【参考サイト:Yahooニュース】
米米CLUBの死亡メンバーの経歴は?
米米CLUBメンバーで死亡したジュリアーノ勝又さんは、詳しい経歴やプロフィールを明かしてきませんでした。公式情報でも、生年月日や出身地さえ分かっていないようです。しかしその人柄は、米米CLUBメンバーのコメントから伝わってきます。いつも笑顔を絶やさず温かい人柄がにじみ出ていたそうですよ。米米CLUBのメンバーとしてはキーボードを担当し、中核的な存在でした。印象深い米米CLUBの楽曲には、ジュリアーノ勝又さんのサウンドアレンジが施されていました。
米米CLUBの現在の活動は?
米米CLUBのメンバーは、現在もバンド活動を行っています。1997年に解散した際、公式ファンクラブ「COME COME CLUB」は廃止され、2006年の再結成後もファンクラブは再開されていないそうです。メンバーの入れ替わりが激しく、正規メンバーとサポートメンバーの区別がつきづらいことから、現在は正規・サポートすべてのメンバーを「米米CLUBのメンバー」と呼ぶようにしたそうです。2019年までは積極的にツアーを行っていましたが、メンバーの病気などを理由に少しずつセーブしているようです。
まとめ
米米CLUBのメンバーが死亡したという情報を調べてみました。米米CLUBのメンバーで死亡したのは、かつて在籍していたジュリアーノ勝又さんという人物で、指定難病を抱えていたことが分かっています。闘病中は明るく前向きに過ごしていたとされるジュリアーノ勝又さん。米米CLUBの初期を支えたアレンジャーとしてメンバーからの信頼も厚く、ボーカルの石井竜也さんはもう一度一緒に仕事をしたいと望んでいたようです。ジュリアーノ勝又さんが紡いだ音楽は、世代を超えて人々の心に残り続けることでしょう。