日本の男子プロゴルファーの歴史は、ゴルフというスポーツが国際的に普及していく過程と共に歩んできました。ゴルフが日本に伝わったのは明治時代のことで、その後日本におけるゴルフの人気は徐々に高まり、戦後には本格的なプロゴルフツアーが始まりました。ゴルフは、世界中のスポーツベッター達にとってもブックメーカーでも遊べるスポーツとして人気を集めています。
この記事では、歴代の男子プロゴルファーに焦点を当てて深掘りをしていきたいと思います。
初期のパイオニアたち
戦後の日本ゴルフ界のパイオニア的存在としては、坂田信弘、杉原輝雄、中村寅吉などが挙げられます。彼らは1950年代から1960年代にかけて活躍し、国内外のトーナメントで数多くのタイトルを獲得しました。特に杉原輝雄は、1957年に日本プロゴルフ選手権で優勝し、その後も国内外で数々の勝利を収めることで日本ゴルフ界の名声を高めました。
青木・尾崎・中嶋(AON)の時代
1970年代から1980年代にかけて、青木功と尾崎将司、中嶋常幸という二人のゴルファーが登場し、日本のゴルフ界をリードしました。この3選手の名前の頭文字をとって「AON(エーオーエヌ)」と呼ばれていました。
青木功は、日本人として初めてPGAツアーで優勝したことで知られています。また、青木功は1980年の全米オープンで2位に入るなど、国際的にも高い評価を得ました。
「ジャンボ尾崎」の愛称で親しまれている尾崎将司もこの時期に活躍した選手の1人で、通算優勝回数113回を誇り、世界ゴルフ殿堂入りを果たしています。
一方、中嶋常幸は国内外で多くのトーナメントに出場し、多くのタイトルを獲得しました。彼の安定したプレーと強い精神力は、多くの若手ゴルファーに影響を与えました。
松山英樹の台頭
2000年代以降、日本ゴルフ界は新たなスターを輩出し続けています。その中でも、松山英樹の存在は特筆すべき選手です。松山はアマチュア時代から数々のタイトルを獲得し、プロ転向後もその勢いを保ち続けました。
2017年の全米オープンで2位に入り、2021年にはついにマスターズ・トーナメントで優勝を果たしました。この勝利は、日本人男子として初のメジャー大会制覇という歴史的快挙であり、松山は一躍世界のトッププレイヤーとして認識されるようになりました。
2024年のパリオリンピックでも、見事銅メダルを獲得しましたね!
マスターズの日本プロゴルファー男子選手歴代成績
開催年 | 選手名 | 成績 |
1936 | 陳清水 | 20位タイ |
戸田藤一郎 | 29位タイ | |
1958 | 中村寅吉 | 41位 |
小野光一 | 予選落ち | |
1963 | 陳清波 | 15位タイ |
小野光一 | 予選落ち | |
1964 | 石井朝夫 | 40位タイ |
陳清波 | 44位タイ | |
1965 | 石井朝夫 | 26位タイ |
陳清波 | 39位タイ | |
1966 | 陳清波 | 22位タイ |
石井朝夫 | 予選落ち | |
1967 | 陳清波 | 46位タイ |
杉本英世 | 予選落ち | |
1968 | 杉本英世 | 35位タイ |
陳清波 | ||
1969 | 河野高明 | 13位タイ |
1970 | 河野高明 | 12位タイ |
1971 | 河野高明 | 予選落ち |
1972 | 河野高明 | 19位タイ |
尾崎将司 | 予選落ち | |
1973 | 尾崎将司 | 8位タイ |
河野高明 | 51位タイ | |
1974 | 尾崎将司 | 予選落ち |
青木功 | ||
1975 | 尾崎将司 | 43位タイ |
青木功 | 予選落ち | |
1976 | 尾崎将司 | 33位タイ |
村上隆 | 37位タイ | |
1977 | 青木功 | 28位タイ |
村上隆 | 予選落ち | |
1978 | 尾崎将司 | 予選落ち |
青木功 | ||
中嶋常幸 | ||
1979 | 青木功 | 34位タイ |
尾崎将司 | 予選落ち | |
1980 | 中村通 | 予選落ち |
青木功 | ||
1981 | 青木功 | 45位タイ |
鈴木規夫 | ||
1982 | 羽川豊 | 15位タイ |
青木功 | 予選落ち | |
1983 | 中嶋常幸 | 16位タイ |
青木功 | 19位 | |
羽川豊 | 36位タイ | |
1984 | 青木功 | 25位タイ |
中嶋常幸 | 33位タイ | |
1985 | 青木功 | 16位タイ |
中嶋常幸 | 47位タイ | |
1986 | 中嶋常幸 | 8位タイ |
青木功 | 予選落ち | |
1987 | 中嶋常幸 | 予選落ち |
尾崎将司 | ||
青木功 | ||
1988 | 青木功 | 25位タイ |
中嶋常幸 | 33位タイ | |
1989 | 尾崎将司 | 18位タイ |
中嶋常幸 | 予選落ち | |
1990 | 尾崎将司 | 23位 |
尾崎直道 | 33位タイ | |
1991 | 中嶋常幸 | 10位タイ |
尾崎将司 | 35位タイ | |
1992 | 中嶋常幸 | 予選落ち |
尾崎直道 | ||
1993 | 尾崎将司 | 45位タイ |
尾崎直道 | ||
1994 | 飯合肇 | 41位タイ |
尾崎将司 | 予選落ち | |
1995 | 尾崎将司 | 29位タイ |
中嶋常幸 | 予選落ち | |
1996 | 尾崎将司 | 予選落ち |
東聡 | ||
1997 | 尾崎将司 | 42位 |
金子柱憲 | 予選落ち | |
1998 | 尾崎将司 | 予選落ち |
丸山茂樹 | ||
1999 | 丸山茂樹 | 31位タイ |
尾崎将司 | 予選落ち | |
2000 | 尾崎将司 | 28位タイ |
丸山茂樹 | 46位タイ | |
尾崎直道 | 予選落ち | |
2001 | 伊澤利光 | 4位タイ |
片山晋呉 | 40位タイ | |
丸山茂樹 | 予選落ち | |
2002 | 丸山茂樹 | 14位タイ |
伊澤利光 | 予選落ち | |
片山晋呉 | ||
谷口徹 | ||
2003 | 片山晋呉 | 37位タイ |
丸山茂樹 | 予選落ち | |
谷口徹 | ||
伊澤利光 | ||
2004 | 丸山茂樹 | 予選落ち |
伊澤利光 | ||
2005 | 片山晋呉 | 33位タイ |
丸山茂樹 | 予選落ち | |
2006 | 片山晋呉 | 27位タイ |
丸山茂樹 | 予選落ち | |
2007 | 片山晋呉 | 44位タイ |
谷原秀人 | 予選落ち | |
2008 | 片山晋呉 | 予選落ち |
谷口徹 | ||
2009 | 片山晋呉 | 4位 |
今田竜二 | 20位タイ | |
石川遼 | 予選落ち | |
2010 | 池田勇太 | 29位 |
片山晋呉 | 予選落ち | |
石川遼 | ||
2011 | 石川遼 | 20位タイ |
松山英樹(アマチュア) | 27位タイ | |
池田勇太 | 予選落ち | |
藤田寛之 | ||
2012 | 松山英樹(アマチュア) | 54位タイ |
石川遼 | 予選落ち | |
2013 | 石川遼 | 38位タイ |
藤田寛之 | 予選落ち | |
2014 | 松山英樹 | 予選落ち |
2015 | 松山英樹 | 5位 |
2016 | 松山英樹 | 7位タイ |
2017 | 松山英樹 | 11位タイ |
池田勇太 | 予選落ち | |
谷原秀人 | ||
2018 | 松山英樹 | 19位 |
小平智 | 28位タイ | |
池田勇太 | 予選落ち | |
宮里優作 | ||
2019 | 松山英樹 | 32位タイ |
金谷拓実(アマチュア) | 58位タイ | |
小平智 | 61位 | |
今平周吾 | 予選落ち | |
2020 | 松山英樹 | 13位タイ |
今平周吾 | 44位タイ | |
2021 | 松山英樹 | 優勝 |
2022 | 松山英樹 | 14位タイ |
金谷拓実 | 予選落ち | |
中島啓太 | ||
2023 | 松山英樹 | 16位タイ |
比嘉一貴 | 予選落ち | |
2024 | 松山英樹 | 38位タイ |
久常涼 | 予選落ち |
まとめ
日本の男子プロゴルファーの歴史は、多くの困難や挑戦を乗り越えつつ発展してきました。初期のパイオニアたちから始まり、青木功やジャンボ尾崎、中嶋常幸といった名選手を経て、現在の松山英樹や若手選手たちへと続くこの歴史は、日本ゴルフ界の成長とともにあります。これからも多くの日本人ゴルファーが世界の舞台で活躍し、新たな歴史を刻んでいくことでしょう。